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1

木がそこに立っていることができるのは
木が木であってしかも
何であるかよく分からないためだ

樹正因為是樹
樹才能夠站立於此
而樹為何物我卻無從所知


11021301.jpg



2

木を木と呼ばないと
私は木すら書けない
木を木と呼んでしまうと
私は木しか書けない

若不把樹叫做樹
我甚至無法抒寫它
若把樹稱為樹
我只能抒寫它


11021302.jpg



3

でも木は
いつも木という言葉以上のものだ
或る朝私がほんとうに木に触れたことは
永遠の謎なのだ

但是,樹
一直凌駕於樹這種語言之上
某日早晨,我真正觸摸過樹
是永遠的謎





※以上摘自谷川俊太郎作、田原譯,《春的臨終》(牛津大學出版社,2010)。
原詩有六段,這裡摘錄前三段。

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